私の小学生時代

特別お題「今だから話せること

 私は、小学生の頃気が弱く臆病者でちょっとしたことでも泣いてしまうようなそんな子でさらには人の気持ちを考えることが出来ず友達を傷つけてしまう言動をしたり悪いことをしても素直に謝れず変に我が強いところがあるそんな性格のどうしようもない子でした。
 そんな私ですから一年生のころから人に嫌なことをされても言い返せず目から流れ出そうな涙を必死にこらえることしかできませんでした。そのためか仲のいい友達にはそのストレスを発散するかのように横柄な態度をとったり、傷つく言動をしてしまったりと自分を自分でコントロールすることが出来ませんでした。そして今思えば自分のことを見直すということをしなかったため自分の何が悪かったのかということにも気がつかず何も直そうとしなかったのだと思います。また、そんな私と今でも仲良くしてくれる小学生時代の友達には今でも申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。とても優しい人に恵まれたなと思っています。
 ですがこんな私がなぜ自分と向き合い優しくなれたのか、それはとてもいい先生と出会うことが出来たからです。私のターニングポイントとも今まで生きてきた中で二度と味わいたくない出来事とも言えるその出来事は小学5年生の中盤から始まりました。
その時期、私は一人の男の子からイジメを受けていました。その男の子とは同じ班で私の気が弱いところや勉強があまり得意ではなかったためそのような所が気に入らなかったのか私だけ話の輪に入れてもらえなかったり、きつく当たってきたり、理科の実験の授業中に精一杯出した声でも私の声が小さいからとみんなの前で怒鳴りつけたりと色々なイジメを受けていました。今思い出して書いても涙がこみ上げてきます。この時に先生に相談したり、親に相談したりと対処をすればよかったのですが、先生に相談したことで嫌みを言われたり、この先過ごしにくくなるのではないかという不安から打ち明けることが出来ませんでした。また、親にもつらいと言いたかったのですがその時は私の兄も精神的につらい状態で、母も母の家族とうまくいっておらず毎日隣の部屋から鳴き声が聞こえてきました、父においては私に興味がないのか学校のことなど全く話したこともないですし話をしてもどうしようもないだろうなと思い家族の誰にも相談できませんでした。そしてこんな状況ですから私は幼いながらにこの状況で私も学校に行くのが辛いと言ってしまったらこの家族はダメになってしまうのではないかと思い家の中では辛くてどうしようもない心を塞いで笑顔で努めました。ですがいつしかそれも辛くなり自殺しようと考えロープで自分の首を縛り両手で引っ張りました、ですが酸素が体に入らなくなっていくほど手の力は緩み目の前が真っ白になったことで死が目前にある恐怖感から自分で命を絶てませんでした。そのことから死の矛先は母にいきこんなにつらい思いをしているのに気付いてくれない母のことを殺したいと思うようになっていました。どこからそんな感情がきたのか当時の私は分からず自分のことをサイコパスでとても世の中で生きていてはけない人間なのではないかどうしてこんな私が生きているのだろうかという不安と殺したら気持ちがすっきりするのではないか学校にもいかなくて良いのではないかという思考が頭の中を巡っていました。

 そんな中、新学期が始まり私は6年生になりました。そう、この時期こそが私のターニングポイントとも言える今後の生活の色をガラっと変えてくれた先生との出会いです。
 先生は4,50代くらいのもうすぐで定年を迎える教育の経験豊かな先生でした。その先生がとても大切にしていた授業がありますそれは道徳の授業です。イジメ、戦争、差別などを絶対に許してはいけない、一人ひとりが正しい判断をしてそのようなことと向き合って戦わなければいけないということをとても教えられました。またたくさんの先生の発言の中で一番心に残っている言葉があります。それは、「人には個人差があり例えば、文字を速く書ける人もいるが書けない人もいて人はそれぞれ違う。もし、自分より何かが出来なくて困っている場合はそれを理解して自分に出来ることを考えなければいけないよ。」という言葉です。いたって普通でどこでも聞くような言葉で、言われずとも出来ているという人もいると思います。ですが、当時の私には昔受けたイジメで各班で競争して速く文字を書かなければいけないことがあって私はそこまで文字を速く書くことは得意ではなかったためいつも速くかけという圧が凄くて頑張って速くかけるよう努力していました。なのでこんなこととさっきの話にリンクするものがあり、私は自分を否定せずそのままでもいいんだ文字を速く書けないのも自分なんだから。と思い自分を受け入れることができました。そしていつしか先生のおかげでクラスの雰囲気も変わっていきおかしいことはおかしいと言えるクラスになっていました。また、ふと気づいた時には私に対する男子の態度も変わっていました。いつしか皆と同じように接してくれそから辛いと思うこともなくなり死にたい、殺したいという負の感情もなくなっておりこれまでとは一転してとても清々しい気持ちで残りの学校生活を過ごすことが出来ましたし前までの自分としっかり向き合う時間も作り周りの人との関わり接し方感情のコントロールの仕方などを学び考えていきました。今では、家族からもすごく成長したねと言ってもらえとても嬉しかったです。あの時、恩師の先生と出会えていなかったらどうなっていたのだろうと考えると本当に先生には感謝の気持ちでいっぱいですし、もう頭が上がりません<( _ _ )>
今では、自分を変えることが出来るいい機会であり辛かったことは変わりませんがいい経験だったと思っています。
 そして今だからら話せることに私の小学生時代をなぜ選んだのかというと2022年の8月20日午後7時半ごろに起こった女子中学生が夏休み中に母親と弟を殺すための予行練習のため前を歩いていた一般人二人の背後から包丁で突き刺したという事件がずっと頭の中に残っていたからです。少女の供述によると「母を殺したあと弟がそれを見たら悲しむと思ったから一緒に殺そうと思ったけど自分が本当に殺せるのか分からないから予行練習として刺した。」供述していました。私はこの話をニュースで見ていて本当は殺したくなかったのではないだろうか。もしかしたら小学生時代の私と同じ思いを胸に抱いているのではないかそう思ったからです。小学生時代、私は母を殺そうと思ったし殺そうとしたとお話ししましたが時が経ち客観的に考えてみた時に母を殺そうと思ったきっかけは母は私の辛さに気付いてくれず発した言葉の中にはっきりとは言わないSOSを含んでいたものの私はその思いをしっかりとした言葉で伝えることが出来なかったため母を刺すことで私はこんなに「つらかったんだよ」「こっちを向いてほしかったし気にしてほしかったんだよ」ということを伝えたかったのだと思います。愛と憎しみは裏表で遠いようで実はとても近い存在なのだということを身にしみてわかった経験でした。ですが、私がそうだからと言ってその少女が同じ気持ちで同じ考えをもって犯行に及んだのかは全くわかりませんが本当に殺そうと思っているのなら予行練習なんてしないと思います。今後、少女に寄り添おうとしてくれる人や人の気持ちを分からずとも考えようとしてくれる人が一人でも多くいてくれたらうれしいです。また、一人でも多くの人に今後幸せが届けられたらいいなと思いますし、私自身一人でも多くの人の悩みを聞いてあげられ寄り添えるように努力をしていきたいと思っています。
長々となってしまいましたがありがとうございました。(*^-^*)